ニューディール政策は、1929年以降の米国の大恐慌を克服するために、ルーズベルト大統領が、工業・農業・商業・金融・労働など、経済に関する全分野に対する広範の経済政策を行いました。それまで米国では、政府による市場介入や経済政策は限定的とする自由主義的な経済政策をとっていましたが、ニューディール政策では、ケインズ理論を取り入れ、政府が積極的に市場に関与する政策へと転換しました。緊急銀行法、経済法、農業調整法(AAA)、全国産業復興法(NIRA)、グラス・スティーガル法を制定して政府が国民経済の各部門に介入し、公共投資やテネシー川流域開発公社(TVA)、民間資源保存局(CCC)などの開発事業推進によって総需要の拡大と雇用創出を図りました。通商では、保護主義から自由貿易主義へと転じ、関税率の変更や外国と互恵通商協定を結ぶ方向へと転じました。
ニューディール政策によって、1934年以降の経済は回復傾向となりましたが、政府が積極的に財政を使ったことによって、政府の債務が拡大し、インフレ傾向となりました。そのため、財政政策や金融政策の引き締めを行いましたが、それによって1937年から1938年に失業率が高まりました。ただし、その後に米国が第二次世界大戦に参戦したため、軍需歳出が増大し、米国の経済と雇用は拡大。米国は大恐慌から脱しました。
これについて、マネタリストでありリバタリアン(絶対自由主義)であるミルトン・フリードマンは、1929-1933年と1933-1941年の期間は別に考えるべきで、大恐慌ではなく、大収縮を終わらせたのは、一連の金融政策であったのは間違いないが、大恐慌を終わらせたのは第二次世界大戦と軍事支出である、と指摘しました。
1929年、アメリカでは共和党が政権を握っていました(フーバー大統領)。アメリカの共和党は「小さな政府」を好みますので、政府が民間の企業に口を出すのを嫌います。民間の企業が自分たちの力で景気をよくすべきだと考えます。ですので、共和党は民間の企業がすることには口を出さない方針でした。このため、共和党は国の景気が悪くなっても口を出さず、自然の流れに任せていました。が、自然の流れに任せていても景気が回復することはなく、共和党は選挙で負けました。
選挙で当選したのは、民主党のルーズベルト氏。
民主党は共和党とは方針が違い、「大きな政府」を好みます。景気対策のためであれば、国がお金を使っても構わない、という方針です。ゆえに、ルーズベルト氏は大規模なお金で民間企業を使って、ダムや農地の建設など”公共事業”を展開していきました。これを”ニューディール政策”と言います。
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